そんな日は来なければいい、 ずっと願ってた。
「雛森、…聞いた?」 真面目な顔の乱菊さんに雛森は首を傾げた。その顔にいつもの人をからかうような笑顔はなくて、妙に緊張してしまう。 不安になる心を抑えて、笑顔で返す。 「なにをですか?」 「…隊長のこと」 幼馴染みがどうにかしたのだろうかと、雛森はもう一度首を傾げた。ひつがやくん、と口の中でつぶやく。 怪我をしたとかの報告ならもっと切羽詰っているだろうし、何か他に重大なことでもあったのだろうかと考えてみるが思いつかない。 ただ、嫌な予感が胸を掠めた。 「…隊長、付き合ってる子がいるって。凄く仲がよくて…凄いウワサになってるんだけど本当に、聞いてないの?」 最初は何を言われたかわからなかった。日番谷はいつも自然に雛森の傍に居て、彼のことならなんでも知っているつもりだった。 自惚れかもしれないけど、彼が一番大切にしているのは自分だと思っていた。付き合うとかそういう感情かはよくわからなかった。でも、ただずっと傍に居られるものだと無意識のうちに思っていた。 「…冗談…ですよね?そんな、日番谷くんが…」 無理矢理笑顔を作って、嫌だなあ乱菊さん、と言った。どうか嘘だと、冗談だと。否定の言葉を必死に待ったけれど、乱菊の表情でわかってしまっていた。 「あんたも知ってると思うけど…部下の子。ずっと隊長のこと好きだったらしいよ」 「え…」 もしかしたら知ってるかもしれない、と記憶の中からその姿を思い浮かべる。 心当たりのあるその子は、確か十席ぐらいで十番隊で。笑った感じは大人っぽくて凄くかわいい子。心臓の音が早まる。 どうしてあの子なの。あたしがずっと傍に居たのに。思わず俯いて、雛森は溢れそうになる涙を堪えた。 泣いちゃだめだ、と自分を叱咤し顔を上げる。 「…すいません、失礼します…っ!」 呼び止める乱菊の声も聞かずにひたすら走った。ただの噂だと思いたかった。 実際確かめなければ、信じられない。―違う、信じたくないだけだ。もし本当だったら、自分は応援しなくちゃ行けなくなる。 笑って、日番谷くんには勿体無いなあとか頑張って憎まれ口を叩かなくちゃいけない。だって、そんな関係だったのだ、ずっと。 息が切れるまで走って、執務室までたどり着く頃には、自然と頬が濡れていた。ごしごしとこすって、涙の後を消す。 声をかけず、ドアを思い切り開けた。 「…あ…」 思わず声が漏れた。もし本当でも、平気な顔をしていようなんて無理な考えだった。部屋の中をみたとたん、雛森は固まってしまった。 日番谷はいつもどおり椅子に座って書類をしていた。その隣には…乱菊の言っていたらしい部下の姿があったから。 十席なんて、普通隊長副隊長のいる執務室には来ない。 「雛森、どうしたんだ?」 「日番谷、くん…」 雛森の異変を感じたのか、日番谷は心配そうな顔をした。雛森は何もいえなかった。何が言えるのだろう。 本人の前で付き合ってるの、なんて聞けるわけがない。どれほど自分が傷つくかわかりきっている。 「隊長…?」 どうしたんですか?そう言って彼女は日番谷に一歩近づいた。 それはただ様子のおかしい雛森のことを心配して聞こうとしただけかもしれない。けれど雛森には仲のよさを強調されているように見えた。 日番谷は、大丈夫だ、というように彼女に軽く笑いかける。 そうですか、と嬉しそうにふんわりと微笑む彼女の姿があった。なんでそんなに。 あの話を聞いてから、変なことばかり考えてしまう。日番谷があの子に向けるさりげない笑顔でさえ、雛森には特別なように思えて。 「…ごめんねっ!」 叫ぶように言って部屋を出て行く。振り返ることはせずにただひたすら逃げた。 追いかけてくる気配は無いので、いったん立ち止まった。ぼとりぼとりと、木製の床に涙が落ちる。 みっともない、そう思って慌てて自分の部屋までもう一度走り出した。どうか途中だれもいないことを願って。 結局幼馴染みとしか想ってもらってなかったんだなあと。 暫く時間を置けば大丈夫だと思った。大丈夫、笑える、誤魔化せる。 「はあ…」 部屋で思い切り泣いたら少しすっきりした。 となりに彼がいないことを少し悲しく思って、すぐにまだ彼に頼る気なのかと自分に嫌気が差す。 そういえば今までずっと泣いているときは傍にいてくれた。 落ち着いてみたら、本当かどうか確認もしていないのに何をしているのだろう、と馬鹿らしくなった。 こんなに悲しいのはきっとあの子と付き合ってるんじゃないかと思ったからではない。 いつまでも一緒に入られないと自覚したから。いつかくる終わりを認めなくてはいけなかったから。 「…好きって、言ったらどうするかな」 想像してみた。きっと少年にしては大きめの目をもっと開いて、驚くだろう。そして平静を装って。 罰が悪いような顔をして悪いけど、と謝る彼の姿が容易に想像できる。 何と言って断られるのだろう。好きな人がいるから、とか、幼馴染みとして見れない、とかだろうか。 ただそれが二人の関係を終わらせるものだということだけはわかる。 それなら、一緒に居られなくなるくらいなら。 「…シロちゃんはただの幼馴染み、好きなんじゃない、ただ淋しかっただけ」 自分に言い聞かせるように言葉に出して呟く。 ぐっと決意を固め目を閉じた。想うだけなら自由だ、傍にいても大丈夫。 まだ彼女はいるかと心配しながらそろりと戸を開けた。 見ると日番谷がひとり書類を進めている姿があるだけだった。雛森は彼女がいないことに安心し、胸を撫で下ろした。 「…さっきは悪かったな。なんか用事あったのか?」 「ううん、別に…。ごめんね、迷惑だったよね」 別にいい、と言って日番谷はひとつため息をついた。 そのあと迷惑なんかじゃねえよ、と日番谷が呟いたのは雛森には聞こえなかった。 特に何を言えばいいのかもわからず、とりあえずソファーに腰掛けた。 ぼんやりと肘をつき日番谷をながめる。流魂街にいた頃に比べると随分と大人びたと思う。 かわっているのだ、日々少しずつでも。 「ねえ、」 「なんだ?」 好き、と言ってしまいそうになる気持ちを抑え、なんでもない、と首を振る。 きっと言わない方がいい、そうすればまだ。 「こ、今度一緒にお昼食べよ?美味しい食堂見つけたんだ!」 無理矢理明るい笑顔をつくって誘うと、日番谷は一瞬だけ眉を顰めた。 怪しまれたかと思ったが、日番谷はすぐにもとの表情に戻る。 「…仕方ねえなあ」 行ってやるよ、と日番谷は偉そうに言った。それはきっといつもと違う雛森を気遣った彼なりの優しさ。 だから、彼が思うとおりに。いつもどおり腕を振り上げ悔しがればいい。 「何よその言い方ー!せっかく誘ってあげてるのに」 「はいはい。ありがとーございます光栄です」 棒読みの日番谷の台詞が可笑しくて、思わず笑ってしまう。日番谷はちらりと雛森を横目で見て、小さく息を吐いた。 日番谷の瞳が僅かにだが細められたのが雛森にはわかった。ああ、やっぱり心配してくれてるんだと嬉しくなる。 「じゃああたし行くね!」 ばたばたと走りながら自分の隊舎へと戻る。本当に付き合っているのかどうかは聞けなかった。好きなんて言えるはずもなかった。 それでも"幼馴染み"としてなら暫く一緒にいられるのだと、あきらめてしまう自分が情けなくて自嘲気味に笑った。 いつまでもいっしょにいたいから (いつもどおりに笑えていたでしょうか)(気づかないままでいてください、) |