彼女は目を瞑ったまま、苦しそうに顔をゆがめていた。
眉を寄せた表情のまま彼女は呟いた。藍染隊長。その言葉には悲しみとか怒りとか、そんなのは感じられなかった。
暗さがないかわり、昔のように明るい嬉しそうな声でもない。ただ掠れた声で。あいぜんたいちょう、雛森は繰り返す。
藍染隊長、藍染隊長。
目覚めたあと、ゆめ、と彼女は放心したまま呟いて、自分の体を見た。 胸に手を当て、何か確認した後に顔を上げる。顔は蒼白で、胸元で握りしめられた手は震えている。 謝る必要なんてないのに、雛森は申し訳無さそうな顔をして何度も謝罪の言葉を口にした。 透けるような白い肌。酷く不確かなものに思えて、思わず手を伸ばす。 ふっくらと小さな子供のようだった肌は、少し荒れていた。いつからこんな風になったのか、気づけなかった。 「…怖い、」 「何が正しいのかわからない。だって、あの人は正しかったはずで、それなのに…」 「わかってる、わかってるのに。いつか、この手を失ったらって思った。そうしたら、あたしは全部間違ってると思う」 「あの人が、正しいと思ってしまうかもしれない。だって、そんな、酷い、あたしは、」 「隊長なんて、五番隊なんて…いらない」 最後の言葉はもう、嗚咽と混同していて。日番谷の耳には入らない。 雛森は混乱していて、思ったままを口走っていて。だからこそこれは本音なのだ、聞き流してはいけない。 あの人が正しいと思う?それはどういうことだ、あちらへ行くということか。自分を置いて、行ってしまうのか。 握りしめられたままの手。 今にも泣き出しそうに歪んだ顔。それなのに涙は流れない。 何もわからないのは彼女を見ていなかったからだろうか。 腕を引き寄せ思い切り抱きしめた。疲れからか、痩せた雛森の体は随分と頼りない。 「あいつの代わりは無理だけど。俺は、傍に、いるから。離したりしねぇから。だから…」 なんて稚拙な感情。見守ってやるとかそんなのは自分に都合のいい考えで。 彼女が進んでいたって、後ろから追いかけてきていたって。そんなの関係なかったのだ。ただ傍にいて欲しくて、遠くに行って欲しくなくて。 彼女は何も言わない。呆れているのかもしれなかったけれど、抱きしめたままだったから表情は窺えない。 "藍染隊長"だったら、彼女を慰める一言もすらすらでてくるのだろうか。彼女の想いを察して、安心させることもできるのだろうか。 どんなに頑張ったって(頑張りたくもない)あいつの代わりなんてできない。 幼く見られるのは嫌なくせに大人にはなれない。 いつだって目の前のものしか見えていなくて、正義のためとかそんな理由では力を使えない。 まもりたかったものすら、中途半端にしか護れない。だけど、でも、 あんまり遠くに行くなよ。 涙を流して請えば、傍にいてくれるだろうか。 言葉にして押し付ければ、こちらをみてくれるだろうか。 言葉は震えた。ふらりと何処かへ行ってしまいそうな彼女を、繋ぎとめるのに必死で。 自分が情けなくて、涙が出そうだった。滲む視界の中、彼女を抱きしめる腕の力は緩めない。 「…うん、ごめん。行かない。行かないから」 子供を宥めるような口調の彼女。声は遠く、頭の奥に響いて。 ひどく脆いエメラルドグリーン それは小さな切っ掛け。 震えた言葉が変えたものは。 「日番谷くん、おはよう!」 「…おお」 いつの間にか雛森は元気になっていた。藍染の名前には反応しなくなった。 なんとなく昔のことを思い出してからかってやると、大げさに腕を振り回し明るい声を出した。 なにするの、と彼女が頬を膨らませても相変わらず怖くなくて、思わず笑ってしまった。 なにがあったのか。またその境目に気づけなかった、いつの間にか雛森は前に進んでいて、置いていかれた気がした。 それでもいいかと、思えた。日番谷くん、と名前を呼ぶ彼女の笑顔が、あまりにも綺麗だったから。 どうして、と泣いた。 ありがとう、と笑った。 ごめんなさい、と俯いた。 大丈夫、と真摯な瞳で告げた 辛ければ涙を流す。楽しければ、嬉しければ、花のように笑う。感情を押し込めることはしなくなった。 一番傍でそれを見ていられればいいと、くるくる変わる雛森の表情を見ていて思った。 ただ互いがいるだけで。 幼い頃は当たり前で、それを手放そうなんて思ってもいなかったのに、いつの間にか忘れてしまっていて。 きっと、わからなくていい。見えなくたって。一途で真っ直ぐな想いはきっと届く。 「ずっと、一緒に、ね、」 「…ああ」 その先に待つもの (交わした約束は決して違える事は無く) |