雛森くん。

雛森くん、僕は。

君が副官で本当に、





「…やっ!」
「…どうしてだい?」

いらない。もう、そんな嘘は聞きたくない。

「やっぱり僕には君が必要なんだ。…ついてきてくれないのかな?」

やめて。わかってるのに、嘘だって、

「僕が間違っていないと思っているんだろう?」

可哀想に、何も知らずに、と彼が言った。誰がかわいそうなのだろう。あっさりと騙されるあたしか、それとも 何も知らずに動いている世界か。

「…あたしは、どうすればいいのか、わからなくて…」
「悩まなくてもいいんだ。ただ、こちらにくれば。僕は正しいんだから。」

「………」

何も言い返せない、何が正しいのかなんてあたしは判断できない、決められない。 いつも、ここで迷ってしまうのだ。あたしにはあの人がいてくれるのに。あの凛とした力強い声で、名前を呼んでくれたら、手を引いてくれたら。すぐに戻れるのに。 手を振り払って。嫌だ、うそだと、叫ぶことが出来るのに。

此処には彼が居ない。


おぼつかない足取りで、ふらり、一歩近づく。
藍染隊長。掠れた声で名を呼ぶと、彼はその笑みを深めた。あたしの頬を、涙が伝う。嬉しいからじゃない、悲しいからじゃない。虚しいから。同じことを何度も何度も繰り返してそれでもあきらめられない。また傍においてくださるのですか、そしてまた消すのですか。

愚かだと笑ってください。わかっています、わかってはいるのです。それなのにどうしてその手にすがってしまうのか自分でも分からないのです。

手を取った瞬間に、彼の刀が自分の体を貫いた。あのときと同じように何の躊躇いもなく。人事のようにそれを感じながら目を瞑る。真っ赤な血が流れるが、痛みはまったく感じない。















「…雛森!」

大きな声で名前を呼ばれ、目を開ける。起き上がり胸を見てもそこには刺さっているはずの刀はない。顔を上げると、心配そうに顔をゆがめた幼馴染みがいた。


「…ゆ、め…」


夢。
隊長になってから何度も何度も見る同じ夢。あの人に微笑みながら手を差し伸べられ、掴んだ瞬間に裏切られる。結果はわかっているのに手を取らずにはいられなくて。いつも終わってから後悔するのだ。

「大丈夫か?」
「…うん、ごめんね」
「…別にいい。顔色悪いぞ…」

そっと触れてくる手。ひんやりと心地がよかった。まるで小さな子に接するように。 ゆっくりと、宥めるように、落ち着かせるように。ああ、きっとこの手はあたしを裏切らない。

「ごめん…、」
「謝んなくていいって」

違う。心配かけたからじゃない、仕事を遅らせたからじゃない。 また、あの手を掴んでしまったから。拒むことは出来たはずなのに、手を振り払えばよかったのに。

このままじゃ、駄目なのに。


「―雛森」

あたしの名を呼ぶ日番谷くんの顔は、とても真剣だった。 双眸はしっかりとあたしを見つめていて、目が逸らせない。 全て見透かされているようで。また手をとってしまったことを避難されているような気がした。 もちろんそんなことはあるわけがないのだけれど、彼がこの話を聞いたら嫌な気持ちになるに違いない。

笑うしか、ないのだ。

「どうしたの?」

はやく、強くならなくちゃ。笑って、立ち上がって、進まなければ。

「…無理、すんなよ。別にいいから。迷ってても、どうすればいいかわかんなくても。…俺は、此処に、いるから」

人の決心を、日番谷くんはあっさりと打ち砕く。いつかは手を離さなくちゃいけないのに。 その不器用な優しさはあたしを弱くする。本当なら、迷ってはいけないのに。 隊長として、上に立つものとして。常に揺らぎ無いものでなくてはいけないのに。

日番谷くんはあたしに、いつも『雛森桃』として接する。隊長と副隊長、そんな立場気にせずに。 昔、幼い頃から何も変わっていない。

「…怖い、」

小さく震えたあたしの声を、日番谷くんはどう思っただろうか。

「…なんで」

頬に触れたままだった彼の手を掴み、ぎゅっと握る。かなり力をこめたが、彼は何も言わなかった。ただ目を逸らさず見つめるだけ。

「何が正しいのかわからない。だって、あの人は正しかったはずで、それなのに…」
「…雛森」

日番谷くんが小さい声だけれど、強く、あたしの名前を呼ぶ。 咎めるような響きは無く、ただ苦々しい表情がそこにあった。

「…わかんない、わかってたはずなのに。いつか、この手を失ったらって思った。 そうしたら、あたしは全部間違ってると思う。あの人が、正しいと思ってしまうかもしれない。 だって、そんな、酷い、あたしは、」

もう何を言えばいいのかわからない。ただ、この優しさを失うのは嫌だった。 護られて、支えられてばかりだとわかっている。いつかは手放すようなのも、それもわかっている。

思考も全部ぐちゃぐちゃだった。傍にいて欲しい、支えて欲しい。いつかは失う。 手放さなくてはいけない。あの人は間違っている。正しいのは、でも。手を取ってしまった、裏切ってしまった。



ふわりと、優しく抱きかかえられた。とてもあたたかくて優しいけれど、それが悲しかった。

「やめて、よ…あたしは、」

あなたを傷つけてばかりだった。彼は心配してくれているのに、自分が考えていたのはなんだったか。 どうしてあの人は自分を置いていったのか、 もし彼が居なくなったら。全部自分のことばかり。自己嫌悪で胸がつぶれそうだ。

「ごめんね、ごめん…」

こんなことを言っても困らせるだけだ。そうだとしても謝らずにはいられない。雛森、と名前を呼ばれて、俯いていた顔を上げた。 日番谷くんは歯を食いしばって、悔しそうな顔をした。辛そうで、今にも泣き出しそうで。その表情のまま、彼はゆっくりと口を開いた。

「あいつの代わりは無理だけど。俺は、傍に、いるから。離したりしねぇから。だから…」


あんまり遠くに行くなよ。

すがるような彼の声音に、あたしは自分が情けなくなった。彼も、怖いのだ。 あたしが何処かへ行ってしまいそうで。またあの人の手を取ってしまいそうで。

何も気づかなかった。彼は強いものだと思い込んでいて、あたしの助けなんて必要ないと思っていたから。 あたしにも、彼に出来ることはあるのだ。この手を離さなくてもいい、それは何よりも嬉しいことだと今は思う。

「…うん、ごめん。行かない。行かないから」


此処に、いる。











また、夢の中。
夢を見ているときはそこが何処だかとても鮮明なのに、目が覚めると何も覚えていない。 覚えていたのは、笑顔と差し出された手と、体を貫いた銀色。



「雛森くん。一緒に行こうか」

今まで見た夢と同じ。甘い言葉を囁いて手を差し出されて。藍染隊長はにっこりと微笑む。

「僕は正しいんだから。君が迷う必要はないよ」

一向に近づく気配の無いあたしに、藍染隊長がおや、という顔をした。 いつもならもう手を取ってしまっていたから。 しかし藍染隊長はそれほど驚いているようには見えず、軽く首をかしげ面白がっているようだった。


「…失いたくは無いだろう?」


もう絶対に騙されないと思ったのに。その立った一言で、ぐらりと、心が揺れた。失いたくない。藍染隊長の手も、あの人も。



雛森。



思わず歩み寄ってしまいそうになったその時、何処かから声が聞こえた。 力強くなんか無い。幼い子が母親に縋るような、頼りなく弱弱しい声。それでもその声は確かにあたしを引き戻した。


すたすたと近寄り、彼の手をやんわりと叩く。優雅に微笑む彼に、同じ笑みを返してやった。 もう迷ってなんかいない、手を振り払うことにためらいなど無い。 今度は多少驚いたようで、藍染隊長は軽く眼を見開いた。それでも、口元の笑みは変わっていない。

「どうしてだい?」

どうして?そんなの決まっている。

「あなたがいると、あの人を、幸せに出来ないから」

彼の不安そうな声。あたしがまだ吹っ切れていないから、心に想いを残しているから。 今のままではいけないのだ。彼はあたしにたくさんのものをくれたのだから、返さなくては。

遠くに行くなと彼は言った。必要とされていたのだ、彼に。 彼が居ればそれでいいのだ。もう、"藍染隊長"は必要ない。



「…さようなら。」



きっともう、夢は見ない。













かじかむ手で掴んだ

(さあ、あの人に会いにいこう。)(最善の選択)


















よっつめです!久しぶりの更新…!
あとひとつでこのシリーズ終わりです。
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