副隊長になってからの日々は、思ったよりも平凡なものだった。 雛森はわからないところは教えればすぐに理解したし、隊長という責務を重荷に感じているようでもない。 藍染がいなくなってからは雛森はひとりで五番隊をまとめていたため、それほど変化はないらしかった。 幼馴染みだったということもあり、お互い変な気を使う必要もない。 ゆっくりと、少しずつ。変わってはいた。会話の節々に藍染の名が出ても、それほど表情を変えなくなった。 目覚めたばかりのときのように、藍染を庇うような発言はしない。その名がでたときに僅かに顔がゆがむけれど、 それがわかるのはきっと自分だけだった。 彼女は笑っていた。 大変なんだねえと苦笑しながら、やっぱり日番谷くんは凄かったんだねとため息をこぼす。 すぐお前も慣れるよ、そう言ったらありがとうと呟いた。そう、その言葉も笑顔も自然だった。 ずっと前、副隊長って大変だね、と疲れを滲ませながらも楽しそうにしていたあのときと似た表情。 これで良かったのだと、自分に言い聞かせた。藍染も市丸も東仙も、もう関係のない人物。 胸に傷は残っていたけれど、もう心は痛くない。もとから自分はたいして傷ついていなかった。 彼女は違う。胸に傷が残っていても残っていなくても、心の傷はずっと癒えない。 忘れられないのだろう、敬愛していた上司を、そのときにあった日々を。 それでも、傷ついても。少しずつでも前に進んではいるから。 「仕事、どうー?」 「まあ…うん、普通」 「嫌よねー。急にさ。あの人、他の隊長よりなんか…」 「わかるわかる。頑張ってるけど隊長はやっぱ重荷なんじゃない?」 そこまで聞いただけで、"あの人"が誰なのか、雛森にはわかった。 自分自身だ。異例の辞令は部下たちに衝撃を与えたが、それでも取り立てて騒ぐ人はいなかった。 口には出さず、こうやって影で言われている事が多いと知ったのは最近。 そんなことは気にする事はない、そのうち周りも認める。 そうきっぱりと言い切ってくれたのは幼馴染みだ。自らの経験でもあるのか、随分と頼もしい言葉ではあった。 少々胸は痛むけれど、これくらい我慢しなくてはと。そう思って踵を返したその時。 聞こえてきた言葉は、どうしても我慢できないものだった。 「…ちょっと、いいかな?」 にっこり笑って近づくと、相手の顔が固まった。 「ねえ。それともあなたはあたしよりも強いっていうの?」 にっこりと微笑んだ笑顔は、何処か冷たい。 目が、笑っていない。こんな笑い方をする人だったか。いつもはもっと呑気にへらへら笑っていて、頼りない感じで。 そうして笑っていれば誰かに護ってもらえるとでもいうような気の抜けた顔で、それが自分は嫌いだったのに。 今の笑顔はどうか。そうだ、これは時折四番隊の隊長が見せる笑顔と同類のものだ。 背筋がすっと冷えていくのを感じた。自分の非は認めたくない。いや、間違ってなんていない。 けれど、これはなかなかの脅しである。 人が来ればこの冷え冷えとした空気も変わるかと周りに視線を走らせてみても、誰も来る気配はない。 「ごめんね。ゆっくり話したくて」 その言葉で、結界を張られたのだとわかった。誰も中には入ってこない。 この人は剣術、体術は他の隊長に比べ劣っていたけれど。鬼道だけは他の隊長にも劣る事はなかったのだ、と今更に思い出す。 「それで、もう一回いってくれる?」 こんな笑顔をするなんて知らなかった。悔しさよりも何よりも恐怖が先にあって、足が震えるのを感じる。 それでも今更ひくなんて出来なくて、おそるおそる、ではなく堂々と、唇を開いた。 「…いいですよね、日番谷隊長のおかげで隊長になれたんでしょう?あの人を降格させて。 よくそんなこと出来ましたね。それとも、藍染以外はどうでもよかったんですか、利用する事も厭わなかったんですか。 日番谷隊長が可哀想です。なんであなたなんかのためにそこまでやるのかわかりません」 護ってもらってばっかりじゃないですか。 声を荒げないよう溢れて来る感情を押さえつけて。先ほどいったのと同じ台詞を最後まではっきり言い切った。隊長に逆らったという後悔も何もない。一瞬雛森の表情が歪んだけれど、すぐにもとの笑顔に戻る。 日番谷隊長。自分の中ではまだそうだった。藍染。自分にとってはもうどうでもいい人物。 言い終わった後、切なげに眉を寄せた雛森が何を考えているのかなんて全然わからなかった。 「…あたしは、」 雛森が何か言おうと口を開いたところで、霊圧を感じた。隊長格と同等のそれは、いとも簡単に結界を壊した。 その人が誰だかは当然雛森にもわかり、びくりと一瞬身を固めた。 「…何してんだ?」 日番谷隊長。名前を呼ぼうとしたけれど、声にならなかった。刺すような霊圧の中、からだはぴくりとも動かない。 静かに怒っている日番谷をみて、初めて先ほど口走った事を後悔した。 誰も答えられないとわかってか、日番谷は雛森の手を掴み歩き出した。 やっぱり護られているじゃないか、そう思い悔しくなったけれど暫くは口も体も動かなくて。 「雛森、お前…」 雛森は辛そうにしながらもにっこりと笑った。 先ほどの冷たい感情のこもらない笑顔ではない。知ってたよ、と震える唇が紡いだと同時に、笑っていたはずの目から涙が落ちた。 「知ってたんだよ、全部。あたしのためでしょう?あたしが悪いんでしょう?」 雛森が何を言っているのか分からなかった。雛森が結界を張ったのを感じて、すぐに破ってなかにはいったのだ。 何を話していたのかは知らない。それでも、雛森が呟く言葉で、大体の内容がわかった。 悪くなんてない。悪いのは自分だけだと日番谷は思ったが口には出さない。 言っても涙はとまりそうにないし、なにより雛森は納得しない。 「…関係ねえよ」 頼りなく呟いた日番谷の声で、雛森は顔をあげる。 「あたし、どうすればいいの…。わかんないよ、日番谷くんのおかげでしょう、隊長になれたの」 俺のおかげなんかじゃない。副隊長以上に危険なのに、 雛森がなりたいなんて思ってないって知ってたのに。 それでもそれしか護る方法がわからなかったから。 「でもね。あの人たちには負けたくなかったんだ」 だって、と雛森は顔をごしごしと拭いてからもう一度口を開いた。 「…何も、知らないくせに。ただ話を聞いただけで全部知った気になって。 あたしは隊長の事も理解していなかった馬鹿なんでしょう?騙されてたなんて信じたくなかった。でも、」 そこまで言った後は、ただ嗚咽が漏れるだけだった。嗚咽の中、藍染隊長、とあいつを求める声が聞こえる。 何度も何度も、雛森はその名前を呼んだ。 久しぶりに見る涙は随分と綺麗で、触れるとそのまま腕を伝って床に落ちた。 なにもかわってなんかいない。 まだ雛森はあいつのことを求めていて、俺はそれを全然わかってなくて。 いつかは忘れられる、なんて思っていたなんて。 雛森は藍染の遺した五番隊をまもりたいのだと、雛森はまだあいつを想っているのだと。日番谷は悲しげに顔を歪める。 雛森はそれを感じ取り、濡れた瞳を伏せた。 かたおもい (一方通行、どこまで) |