余計な話の結末






雛森は手にした白い羽織をぎゅっと抱きしめる。自分がこれを着るにはまだまだ力不足だと実感してはいた。 だが、人員の不足により、他に隊長格に就けるものはいなかった。空いた場所は早急にうめなければならない。

「そうそう、副隊長じゃが…おぬしもよく知っておる人物だ」

すっと目の前の老人が視線をそらす。なんだ、と雛森もそれに合わせて顔を動かす。 視界の中に、雛森も良く見知った人物がいた。

「…え…?」





「なんで、どうして日番谷くんが…!」

手にした羽織を握りしめたまま叫ぶ雛森を、日番谷はいつもの無表情でみつめる。 隊長に就任した雛森だが、まだ羽織を着けてはいなかった。 どうして、と呆然として立ち尽くす雛森に、阿呆に見えるぞ、と日番谷は言った。 だが驚きのあまりそれに突っ込む余裕は雛森にはない。 いつもなら馬鹿にしないでよう、と怒るのに、と日番谷はため息を一つついた。

いつも前に悠然と歩いていた彼。どうしてこんなことに。 詰め寄る雛森から視線をそらし、日番谷は早口で言った。

「降格、だ。もともと力は足りてなかったしな」

経験不足、それに基本的な力も足りない。悔しがる風もなく淡々と語る日番谷を雛森は相変わらずほうけた顔でみつめる。 ぱくぱくと口を動かしてみるが、言いたい言葉は出てこない。 雛森には日番谷その言葉は信じられなかった。 経験などなくても、本来の力だけで充分あの十三隊の一隊を背負うだけの力が、彼にはあるはずなのに。 事実、あの三人の裏切りによって尸魂界が混乱し、その後対応して動き出したとき。前線で活躍していたのは彼ではないのか。

「ねえ、おかしいよ…」

そういいながらもどこか喜んでいる自分がいて、雛森は自分が嫌になった。降格されるなんておかしいと思いながらも、彼が下についてくれるなら頼もしい、そう感じてしまった。

「おかしくねえよ。いいんだ、これで」

きっぱりと言い切った彼。もうあの白い羽織はつけていない。 死覇装だけの日番谷の姿は随分久しぶりだ、新鮮な面持ちで彼を見る。 降ろされたのに彼は悔しそうにも残念そうに思っているようにも見えない。ただ全てをそのまま受け入れてこの場にいた。 やっぱり日番谷は羽織をつけていたほうが、十を背負っていた方が似合う。そう思ったが口には出さなかった。

溢れそうになる感情を堪え、ぐっと歯を食いしばる。彼の言葉が本当なのかはわからない。でも今はただ前に進むしか出来ない。

「よろしく、ね…」

腕を上げ握手を求める。腕が随分と重く感じられる。日番谷は少し躊躇った後、すぐに手を出してきた。 握りしめたその手はまだ小さく、子供のものだ。 追いかけるものがないことを酷く不安に感じる。 ずっと憧れていた大きな背中はもちろんなくて、昔から知らないうちに頼りにしていた小さな背も今は見えない。

まっしろだと思った。何処を目指して何をすればいいのか。 求めていたのはこんな地位ではない、ずっと前からわかっていたこと。


「よろしくな、雛森隊長」








よろしく、という言葉と共に差し出された手を、握った。 相変わらず華奢な手だ、そう思ったが自分の手もそう大して変わらないことに気づく。 そう、まだまだ自分は幼い、力もない。

降格。
十番隊隊長から五番隊副官へ。

嘘、だった。あれほどの働きをして降格なんてあるはずがなかった。日番谷が直々に総隊長に願い出たのだ、全てが終わったあとに。




『本来なら処分するべきじゃがな。今もあやつに心酔している可能性がある』

罰せられる、そのことが信じられなかった。彼女は何もしていない、ただ騙されて利用されて傷つけられただけだ。 所詮はただの副隊長、捨てられた彼女を案じる必要なんてこの老人にはないのかもしれないが、それでも許せない。 だがそんなことが通じるはずはなかった。 どうして一番傍にいるはずの副官が気づかなかったのだ、と批判の目が向けられていたことすらある。

『降格…かの?それとも、』

暫く拘置でもしておくかのぅ。どうして俺にそんなことを言うのか、目の前の老人の意図がつかめなかった。 降格にしろ罰するにしろ、自分に相談するのはおかしいのに。 何が可笑しいのか、この状況で老人は笑った。日番谷の答えを嘲笑うかのように。 まだ答えは出ていないけれど、きっと決まっているのだ。 自分に出来ることはひとつしかないのだとわかった。きっと目の前の老人も自分の副官も彼女もそんなこと望んでいないけれど。

「俺が、副官になる。あいつを隊長にして…俺が、見張ってればいいだろ」

降格ではない、任務として。何がいいのかなんて言っている自分でもわからないけれどそれしかない。 また唆されてあちら側に行かないように。血迷って何かしてしまわないように。

必死の想いで手にした羽織をあっさりと捨てた。背負っていたものを一つ捨てたのに、背に感じる重さは変わらなかった。 ずっとついてきてくれた副官に悪い、と思ったがそれでも彼女には代えられなかった。

「それで…いいだろ」

前代未聞じゃよ、と呆れた風に呟いたその声は、どこか楽しそうでもあった。


捨てた羽織の代わりに手にしたのは、少し前まで彼女がつけていた副官章。それは十の羽織なんかよりもずっとずっと重い。 自分が望んだ結果なのだと、切り捨てたものに未練などないと、言い聞かせる。








でも、よかったな。ちょっとだけ。

握手の後、雛森が小さな声でいった。呟くように早口で言った言葉を聞き逃さないように耳を澄ます。 俯いていた彼女の瞳は、不安げに揺れていた。


「あ、あのね…不安だったんだ。隊長…でしょ? あたしにできるかわからないし、頼れるのも自分だけだって、覚悟してたんだけど。 日番谷くんが副官で、よかった…ごめんね?」


日番谷くんにとっては嬉しくないことなのに、と苦笑したその細い肩を抱きしめたかった。 お前はもうなにもしなくていい、ただ守られていればいいのだと言ってしまいたかった。 でもきっと彼女は前に進もうとしている。自分がそれを妨げることはできなかった。

「よしっ、これから頑張ろうね、日番谷くん!」

無理に笑う笑顔は痛々しかった。羽織をみつめ切なげに眉を寄せた表情を、彼女に対しては目ざとい自分は見のがさなった。 まだ完全に立ち直れてはいないのだ、簡単にあの男を思い出してしまっては、そのたび辛そうに笑顔をゆがめる。 些細なことで思い出して傷ついてしまうような記憶なんて消してしまいたい。 あいつさえいなければ、と何度思ったことか。彼女のしあわせそうな笑顔を奪う権利などあいつらにはなかったのに。

「…ああ」

もう、彼女の前に立つことなんてしなくていい。必死に追いかける必要はない、無理に大人びる必要も。 隣にならぼうなんて思わない。隣は酷くあたたかくて心地よいけれど、それを望んではいけない。 そこは自分の居場所ではないのだから。

精一杯立っているその背中を、一歩離れてついていく。見守っていて、何かあったらすぐに手を貸してやればいい。 手を差し伸べて立ち上がらせて、その背中をおしてやればいい。 きっと自分はそれでいいのだ。




雛森隊長行きましょうか、と言ったら本気で泣きそうな顔をされた。
仕方ねえなと頭をかいて雛森行くぞ、と言い直した。うん、と安心したように笑う。

行こうか日番谷くん。
そう言われて、もう日番谷隊長と呼ばせることは出来ないな、ということが頭を過ぎる。
結局一度も呼ばれなかった名前。 まあ必要ないかと、嬉しそうにすすむ小さな背を追いかけた。

頼りない危なっかしい背だけれど、自分にとっての唯一のもの。
彼女が歩くたび、ひらりひらりと真っ白な羽織がゆれた。






それはひとつのあいのかたち。


(誰にも理解なんてされなくていい)










ありえないけどちょっと妄想…。
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