せかいのはじっこで
ずっと前の、あどけないまだ幼い彼女の笑顔を思い出した。最後に見せた笑顔は、悟ったように大人びていたように思う。
どうして彼女はあんなにも安らかだったのだろう。
それは幼馴染みであった彼のせいだ。二人が交わした言葉は僅か一言二言。
あとは彼が彼女に優しく触れ、一度だけ唇を合わせただけだった。それだけで。
笑いながらも苦痛に歪んでいた顔は穏やかで幸せそうな笑みになった。もう生きようとはしていない空虚な瞳に、僅かに色がついた。
それはきっと彼にしかできなかった。
あそこで苦しんだままでもどちらにしても、彼女の死は変わらなかったけれど。それでも、彼女も彼も少しは救われたのだろう。
彼は涙を流さない。彼女は微笑んだまま。
ふたりだけのやさしいせかいがそこにはあったのだ。
なんでもないような顔をして僕の名前を呼んで、いつものように微笑みかけてくれないかと願ってみたが、そんなことはおこるはずもない。
僕は涙を流さないことに必死だった。
だって。彼女の死を一番悲しんでいるのは誰かなんて
誰にもわからないけれど、一番傷ついているであろう彼は涙を流してはいなかったから。
唇を噛み締めてはいたが、あとはいつもと変わらぬ無表情で彼女を眺めていた。
それは大切な人を喪った人としては不自然だったけれど、
なぜか彼と彼女にはそれが自然な気がした。
僕の彼女といたおかげで鮮やかだった世界はほんの少し精彩を欠いただけだけれど、彼はきっと色を全て失ったのだ。
そうでなければあんな表情できないだろう?いつだって世界は非情で残酷で。
部屋に戻ってから、声を押し殺して泣いた。彼女のことを思うといくらでも涙が出てきて、自分の弱さに嫌悪する。
どうしてあの少年のような強さがないのだろう。
だって、僕にだって。彼女は大切だったのだ。笑顔を見れば幸せになったし優しさに救われたし護りたいとも思っていた。
後から彼女の死を聞いた僕は最後の最後彼女の傍に居られた彼が羨ましかった。
最後に彼女を救うことなんてできないとわかっていたから、余計に。
強い彼女は一筋涙を流して、あとは気丈に前を向いて立っていた。なんとなくだけれど、その涙は死んだ少女へではない気がする。
辛そうに、悲しそうにはしていたけれど、視線が捉えているのは安らかな寝顔の少女ではなく、傍に佇む上司の少年だった。
あの子を大切に大切に護ってきた少年は、唇を噛み締めながらも涙は流していなかった。
それが彼らしいと思ったし、自分があの子の立場だったらどうするのだろう、と意味の無いことを考えたりした。
考えなくてもわかっている、きっと自分は取り乱して自分を保っていられない。
死に追いやったものを憎んで怨んで滅ぼして、狂ってしまう。あの子ほど強くはない。少女に好意を抱いていた自分の部下を見た。
こちらは少年とは違って、今すぐにでも泣きそうな表情だった。硬い表情で何処かへ走っていった。きっと堪えきれずに涙を流すだろう。
死を嘆き悲しみ、それでもいつかは忘れてしまう。傷は簡単に癒える。
あの子ほどつよくはないから。
傷心の彼に掛ける言葉を私は持たない。
何を云ってもそれは同情や慰めで彼の救いにはならなくて彼もそんなことは望んでいないとわかっているから。
彼に必要なのはそんなものではない、彼女でしかない。
泣いてもいいんですよ、と言いたかった。
どうして涙を堪える必要があるのか。今流さなければ、彼は一生涙を流さずに過ごすだろう。
愛しいあの子を失う以上に悲しいことなんて、あの人にはないんだから。私の全てはあの子じゃない。
だから、悲しいけれど、胸は痛むけれど。またいつもどおりの日々に戻る、少しの虚空を感じながらも。
いつもどおりの日々に彼は帰ってこれるのか。きっと彼は戻ってくる、そこまで弱くはないから。
でもそれは彼女がいた時のあの人とはもう違う。
彼をつくっていた大切なものは欠けてしまって、優しさも穏やかな視線も笑顔ももう、向けられる相手はいないのだ。
不意に胸に込み上げてくる感情があって、一筋の涙が頬を伝った。
それは居なくなってしまったあの子へではなく、あの子を喪った彼への涙。
どうかないてください。
その想いを伝える術はない
(伝えなくてもいいのかもしれない)(だって全てを受け入れていた)
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