外傷はそれほど酷くなかったため、雛森は2、3日休んだ後すぐに仕事に戻った。 休んでいる間の書類は思っていたよりも少なく、藍染にそのことを聞くと柔らかい微笑で返された。 何も仰らないけれど、きっと私のために手伝ってくださっていたのだ。やはり優しい方だと、雛森は嬉しそうに微笑んだ。 雛森の記憶では、倒れたのはただの貧血だということになっていた。 虚との最中に倒れてしまい、襲われたが途中で他の隊員が来た、と。 雛森にそれを疑う理由は無い。普段なら貧血ぐらいで倒れたりしないのだが、それを不思議に思うことも無かった。 ただ、体調が悪かったのだと。 いつもどおり、だった。阿散井や吉良が心配そうな顔をしていたときにも、雛森は大げさだよ、と笑った。 二人が居心地悪そうに目を伏せたのはどうしてかわからなかったが、理由を尋ねることはしなかった。 「雛森!」 自分の名を呼ぶ声に、雛森が振り向く。乱菊がゆったりとした足取りで雛森に近づき、書類を手渡した。 「これ、五番隊に。今行こうと思ってたのよ、丁度良かったわ」 「あ、はい。ありがとうございます」 手にある書類はおよそ十枚ほど。 初めて目にする字。雛森は何気なく、そのことを口にする。 「これって、日番谷隊長の字ですか?」 「…ええ、そうよ」 「お上手ですね…」 「外見に合ってないわよねー」 隊長、という呼び方。見慣れているはずの字。 そんな何気ない態度で、やはり雛森は何もおぼえていないのだと、改めて思い知らされる。 だが乱菊はそんなことはまったく顔に表さず、見た目によらず老けてるからねえ、そう言って自然に笑った。 雛森はそうなんですか?と首を傾げて楽しそうに笑った。 「じゃあ、ね」 「はい、ありがとうございました!」 雛森がぱたぱたとかけていく背を乱菊は見送る。 いつものように日番谷が自分で行けばいいと思っていたのだが、やはり自分が届けにきてよかったのかもしれない。 こんなの、辛すぎるだろう。全部忘れられているなんて。他人になっているなんて。 悲しげに目を伏せた乱菊のその仕草は、数日前の阿散井と吉良と同じものだった。 雛森は執務室で、先ほど受け取った書類を読んでいた。 大人びた整った字。そういえば、この字はどこかで見たことがあるような気がする。 とてもじゃないがあの少年のものには見えない けれど、あの四番隊で初めて会ったときの対応を思い出すと、こんな字が相応しい気もした。 外見にそぐわず、態度は落ち着いて大人びていたから。 そんなことを考えているうち、雛森は日番谷がこの前悲しそうな顔をしていたのを思い出した。 切なげで、見ているほうの胸が締め付けられるような。尋ねたときは、笑って返されたけれど。 (あれは、なんだったんだろう) 不思議なことはいくつかある。仕事をやってくれたのかと尋ねたとき、笑って返すだけだった藍染。 視線をそらし目を伏せた二人。そういえば、今まで乱菊が書類を届けにきたことは無かった気がする。 (…今までは…誰が届けてくれてたっけ?) ちょっとずつの、違和感。どれも決定的ではなくて、雛森は答えを出せない。 とても些細なことばかりだけれど、なんでもないと言い切れるほど小さくも無い。 (なんで、だろ…) 阿散井と吉良。 二人が目を伏せたのは、雛森が日番谷の記憶を失ったということが信じられなくて、何も知らない雛森と目を合わせることがつらくて。 はっきりとは答えなかった藍染。 溜まっていた書類を進めたのは日番谷だったが、藍染からはそれを伝えることはできない。 届いた書類。 今まで五番隊へ書類を届けにきていたのは日番谷。見覚えのある字、当然だ。何年もその字を見てきたのだから。 雛森がその字を羨ましいなあ、と言って笑ったのは随分前のこと。 違和感の原因は、全て記憶喪失から。しかし、雛森は何も知らない。知るはずが無い。 考えても考えても、答えは出てこない。だんだんと頭が痛くなってきて、雛森は考えることをやめ書類を進めることに専念した。 (気のせい、だよね) 何も変わってなんかいないんだから。 (そこへ手を伸ばすのは怖い気もした) |