気づいた時にはもう遅くて、

大事で大事で愛おしくてしかたなくて。







ずるっ。

「ひゃあっ」

うう…と間抜けな声を出した雛森を、日番谷はあきれた顔で見た。
本当はあわてて手を出したのだが、わずかに遅くその手は虚しく宙を掠っただけだった。
どうやれば何もないところで転べるのかと不思議に思いながら、地面に座り込んでいる雛森に手を貸す。

「ほら」

「ごめん…」

えへへ、と恥ずかしそうに笑いながら、日番谷の手を借りて雛森が立ち上がる。
制服のスカートに付いた土埃を払いながら、ありがとう、と言った。

「怪我してねえか?」

「大丈夫!」

白く華奢な足には傷はなく、赤くはれてもいない。
怪我のないことに安堵し、なら行くぞと声をかけて日番谷は進んだ。
彼女が慌ててまた転んでしまわないよう、先ほどよりも少しゆっくりと。

「お前、今月何回目だ?」

「な、失礼な!今月はこれが初めてだよ!」

「まだ今月は4日しか経ってねえからなー」

からかう様に言うと、怒って反論してきた。
本人は本気で怒っているつもりらしいが、いまいち迫力がない。
頬を膨らませて腕を振り上げる様子が子供のようで、幼く見える。

それを笑うと、もうっ、といって顔を赤くした。









「相変わらず仲良いわね〜」

「は?なんだよいきなり」

放課後の教室。残っていたのは日番谷だけだった。
そこへひょっこり、乱菊が入ってきた。

「いやあ、朝見ちゃったのよねえー」

馬鹿か、と言いながら目を細めてにやにや笑いながら近づいてきた乱菊を睨んだ。

「付き合ってるんでしょ?」

日番谷にとって雛森とは、不思議な存在であった。
他人を傍に置くことをあまり好かない日番谷だったが、雛森だけはなぜか別だった。

優しい彼女は、大体自分よりも他の人を優先する。
自分が傷つくことを厭わない彼女が心配で、できるだけ助けになろうと思ったりもした。
それでも自分なんかが手を貸さなくても雛森は自分の足で立っていられることを、
日番谷は知っている。それが少し悲しかったりもする。

あたたかくて、トナリは居心地が良くて。
きっと無意識のうちに彼女を求めているのだ。
それは姉とか妹とか、そういう肉親に対する情。

「そんなんじゃねえって言ってるだろ…」

はいはい、とまったく人の話を聞かず、乱菊は楽しそうだった。
そこらへんの学生よりもよほど大人びて見える彼女は、雛森を随分気に入っているようだった。
クラスの違う雛森と会うたびに、可愛い可愛いと連呼し、恥ずかしさから赤くなった雛森を抱きしめる。
その時の乱菊は少しだけ年相応に、幸せそうに笑っていた。

「そんな呑気なこと言ってると、他の奴に取られちゃうわよ?」

「はあ?」

結構人気あるんだから、そういって意地悪く笑い、窓の外を指した。
さっきまで隣にいた彼女が、見知らぬ男子生徒と向かい合っている。
見たことがあるようなないような。人に対して興味のない日番谷は、その男子生徒を知らない。
髪を短く刈って体つきのがっしりしているその生徒を見て、きっと運動部だ、と関係のないことを日番谷は思った。

何を言っているのかは聞こえないが、大体想像できそうだった。
前にも何度か話を聞いたことはあるが、実際目にするのは初めてだった。
あまり気分の良いものではないなと思ったが、口には出さない。
変わりに眉間の皴を濃くし、顔を顰めた。

「助けてあげないの?」

からかいを含んだその言葉にうるせえ、とそっけなく返した。

かちこちに固まった少年を前に、雛森もどうしたらよいのか困惑し、視線をさまよわせていた。
それは何かに救いを求めているようにも見え、その男子生徒の望む結果は得られないだろうと思った。
胸にかすかな安堵を感じながら視線を教室の中へと戻す。

「あ、」

乱菊の声に反応して日番谷がもう一度窓の外に目を向けた。
どうやら予想通りだったようで、雛森が申し訳無さそうに頭を下げていた。

「終わったな」

帰るか、と鞄に荷物をつめ立ち上がったとき、小さな叫び声が聞こえた。
慌てて窓の外に目を向けると、男が顔を真っ赤にさせて雛森の腕を掴んでいるのが見えた。

「あいつ、あたしの雛森に…」

乱菊の声を無視し、教室を飛び出た。
階段を駆け下り、靴を取り替える間も惜しく、何処でもいいからと一番近い出口から外へ出る。
急いで駆け寄ると、なにやら揉めているようだった。
男は早口で捲くし立て、とにかく雛森の同意を得ようとしている。

どちらが悪いのか、そんなことはどうでもいい。
考えるまででもない、決まっている、自分のすることは。

「雛森!」

叫ぶと、雛森がこちらを見てほっとしたような顔をした。
ひつがやくん、そう言った彼女の腕を、がっしりとした腕が掴んでいる。

怒りが込み上げてきて、そのままその生徒を蹴り飛ばした。
雛森も一緒に倒れてしまわないかと一瞬焦ったが、驚いた男子生徒は手を離した。
そのまま一人地面に転げ、ぽかんとした表情を作る。

「なっ…」

いきなり蹴られたことに驚いていたが、すぐに顔を真っ赤にして立ち上がった。
運動部だけあって体は丈夫らしいが、それでも日番谷に蹴られたところを痛そうにさすっている。

「お前、なんなんだよ!彼氏でもねえくせにでしゃばってんじゃねえよ」

「関係ねえよ。さわんな」

「別に、そんなっ…!」

「嫌がってんだろ、こいつ」


本人も冷静になってきてからやりすぎだったか、と思ったらしく言葉に詰まった。
まだ何か言いたげだったが、日番谷はどうでもいい、という顔をして雛森の手をとった。
日番谷くん、と言う雛森の声を無視し、とりあえずその場から立ち去る。








「日番谷くん!」

困惑した様子の彼女の声にはっとし、掴んでいた手を離した。
雛森は思い切り走ったことで息を荒くし、辛そうに呼吸している。
一人で怒ってしまって彼女のことを考えなかったことを反省する。

「悪ぃ…」

謝ると、雛森は慌てて首を横に振った。
ありがとう、と今朝と同じ言葉を言ってから、息を整えるために深呼吸をした。

「本当、ありがとう…怖かった」

「…なんで、あんなんに捕まってんだよ」

「呼び出されたの。告白されて、断ったら付き合ってる奴いるのかって言われて。
 いないって言ったら、じゃあいいだろって…」

無理ですって言ったら…雛森の微かに震えている声を聞いて、また怒りが込み上げてきた。
もう一発やってくるか、そう思って行こうとしたら、雛森に止められた。
あたしはいいから、と。
へらりとなんともないような声を聞いて、呑気な笑顔をみて。無性に腹が立った。

「あの人、大丈夫かなあ…」

日番谷くんも加減してあげなよ…と苦笑して雛森は言った。
加減する余裕なんてなかったんだよと返すと、ごめんねと頼りない彼女の声が聞こえた。
自分で勝手にしたことであるし、彼女が罪悪感を感じる必要はないのに。

思っていても、口には出さない。ただ彼女をみつめるだけ。
それでももう少し気をつけたほうがいいだろうと小言を言おうとして口を開いた。

「雛森…」

握り締められている彼女の手が小刻みに震えているのを見て、言葉を止めた。
彼女だって多少は怒りを感じていて、それよりも恐怖が大きくて。
それでも、相手のことを気遣っているのだ。

言えばいいのに、怖かったと、嫌だったと。
そうすれば日番谷があの男子生徒に何をするかわかっているから、雛森は何も言わない。
ただ硬く手を握り締め、何かに耐えている。
どこまで人のことばっかりなんだ、と日番谷は呆れて額に手を当てる。

そんな日番谷を見て、帰ろう、と雛森は微笑んだ。
それはいつもの純粋で綺麗な笑顔で、なんだかほっとした。
力をこめすぎて白くなった手は、もう震えていなかった。
もういいから。大丈夫だから。彼女の笑顔がそう言っている様な気がした。









雛森は人のことばっかりで。
自分を大切にしろ、と理不尽に怒鳴りたくなってくる。

傷ついても、失くしても、涙を流すことがあっても。
それでも彼女は何も変わらなくて、そんな彼女に救われているのは自分で。

変わらなければいけないのは雛森じゃない、自分だと日番谷は思った。
ただ傍に居るだけでは意味がない。護らなければと遠い昔にも決意をしたことがあった気がする。
幼い頃の小さな決意は、平凡な日々に流されてだんだん薄れてしまっていたけれど。

それでもずっと、心のどこか奥で自分は。








隣に居られて嬉しいと思う。
幼馴染みでも友人でも、今まではそれでよかった。

『お前、なんなんだよ!彼氏でもねえくせにでしゃばってんじゃねえよ』

なんで自分は隣にいるのだろう。
激昂した男の、それでもみんなが思っていたであろう言葉を思い出した。
確かに雛森を好きな男にとっては、幼馴染みというだけで傍に居るのは許せないのかもしれない。
傲慢かもしれないが、男が寄ってこなくなるのはいいと思った。
自分とあの男の違いは出会った早さだけだ、と少し悔しくなって唇を噛み締めた。

雛森はすっかりもとの調子を取り戻し、今日も乱菊さんに抱きしめられてねー、と照れながら話していた。
生きがいなんじゃねえのあいつの。そう言うと、そうかなあ、と首をかしげた。
あたしなんかでいいのかなあ。謙虚になりながらも、嬉しそうに雛森は笑った。

お前だからいいんだよ。そのやたら恥ずかしい言葉は飲み込んで、さあなと返した。



「桃」



立ち止まり今はもう使わなくなった名で呼ぶと、雛森は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。
迷わず彼女の腕を引いて思い切り抱きしめる。
ぽかんとしている表情の耳元に口を寄せる。

「好きだ」

好きだ。
それはずっとずっと抱えてきた気持ちであり、いつの間にか当たり前になっていた感情。
それでも伝えなければ、なにもかわらない。

もう嫌だと思った。
不安定で曖昧な関係も、意味なく隣に居ることも。


「…あ…え…?」

日本語とも言えないような言葉を呟く雛森は、小さく震えていた。あの男に腕を掴まれたすぐ後のように。
さっきの男に思ったように、怖い、嫌だ、という感情を自分にも抱くかもしれない。
それが怖かった。
不安を感じ、おそるおそる優しく尋ねた。

「怖い…か?」

雛森は日番谷の肩に顔を埋めたまま、かすかに首を横に振った。
抱きしめる腕に力を込めると、震えが止まった。

安堵から、日番谷はふっと微笑んだ。
うんともいやとも言わずただじっとしている彼女は、確かにすぐ傍にあって、あたたかくて。
自分は確かに彼女が好きだったのだ。愛おしいと、守りたいと思っていたのだ。
近くに居すぎてそれが当たり前になっていたけれど、それが自分にとって大切なものだったか。




いつまでも笑っていてください。心の中でそっと願う。
泣いても傷ついてもいいから。
それでも立ち上がって笑えるのが、彼女の強さであり優しさ。
綺麗なそれに惹かれ焦がれたのだと、今更になって気づいた。

ずっとそばに。






「あたしも、すき、です…」

消え入りそうな声で呟き頬を赤くした少女を抱きしめ、幸せだ、と日番谷は思った。

いつまでもずっとそばにと、目を瞑り祈る。










ずっとずっと、ただそばに。















1000hitのちささんからのリクです!
えっと、確か学園パラレルで日番谷か雛森が相手を好きなのを自覚する…でしたよね?
なんかまったくリクに添えてない気もしますが…(汗
こんなのでよかったら受け取ってください!