「冬獅郎くん!」 学校へ行こうとドアを開けた瞬間、向かいの家のドアも同時に開いた。 人の良さそうな笑みを浮かべた雛森の母が、ちょっときて、と手を振って日番谷を呼んだ。 「桃がこれ忘れていっちゃって…悪いんだけれど、渡してくれない?」 雛森とよく似ている彼女は(親子だから当然かもしれないが)、けらけらと屈託なく笑う。 大人の女性の穏やかな微笑からは程遠いけれど、この人にはこれが似合っている。 幼い笑顔を見て、ひとつしか違わないなんて…と自分の母親が嘆いていたのを思い出した。 「プリント…ですか?」 「ええ。昨日夜遅くまでやってたくせにねー、そのせいで寝坊しちゃって。朝、すっごく慌ててたのよー」 手渡された数枚のプリント。期限は今日になっており、丁寧に傍に「遅れた者は後日補修」と書かれていた。 相当焦っていたらしく、雛森の字は少し乱れ、紙にはしわがついている。 「…わかりました」 「よろしくねー」 今度うちにも遊びにきなさいね、ご飯一緒に食べましょう。そんなことをいいながら雛森の母親は家に入っていった。 学校に着いたのが遅刻寸前だったので、プリントを届けるのは昼にした。 高校はすぐ傍だが、授業のあいまの短い時間では間に合うかわからないし、走っていくのも正直面倒である。 「雛森!」 「あれ、日番谷くん?」 声をかけると、雛森が首をかしげながらぱたぱたと駆け寄ってくる。 中高一貫校のため、中学と高校は同じ敷地内にある。だが休み時間などに行き来する人はあまりいない。 中学の制服と日番谷の容姿はかなり目立っていて、それによって向けられる周囲の視線が鬱陶しい。 これだから、とため息をつきたくなったが、雛森が傍にいるのでやめた。 「どうしたのー?」 どうして日番谷がきたのか分かっていないところを見ると、雛森はプリントを持ってくるのを忘れたということすら気づいてないらしい。 「これ、お前の母親に頼まれた」 ずい、とプリントを押し付けると、雛森は「あ!」と大きな声を出した。 「ありがとう、本当にありがとう!これ、提出日が今日でね。出さないと一週間補修って言われてたの…」 「どうせプリントがあること自体忘れてたんだろ。そんで思い出して徹夜」 「うっ…!よくわかったね」 「わかりやすいからな、お前。どっか抜けてる」 「…失礼だよー!」 もう、と言いながらも怒っているようには見えない。雛森はプリントを大事そうに抱え、そのあと枚数を確認し始めた。 いち、に、さん…と数えた後、よかった、と小さく呟いた声が聞こえた。 「じゃー俺、もう戻るな」 「あ、まって!お昼、一緒に…」 「吉良と食わなくていいのか?」 「へ?阿散井くんとか、朽木さんとかも一緒だし。ああ、そういえば…よくわからないけど、 付き合ってる人は一緒に食べるとかなんとか、阿散井くんが…」 雛森自身よく分かっていないようで、自分でそうしたいと思ったわけでは無さそうだ。 「日番谷くんも一緒に食べない?取りに行くの面倒なら、あたしのわけてあげるから」 「いーよ。あっちに俺のあるんだし。二人…四人?で食ってろって」 申し訳無さそう…というよりは残念そうな顔の雛森を見て、雛森が"付き合う"ということをよく理解していないということに気づいた。 友達としての"好き"だけなので、ずっと一緒に居たいとか二人っきりになりたいとかそういう感情はない。 当然、お昼を二人っきりで食べるという発想も出てこない。雛森にとっては、みんなで楽しく、それが一番いいのだろう。 そのまま帰ろうと思ったのだが、吉良の心配そうな顔を見て、悪戯心が芽生えた(思ったよりも近くにいた。そういえば同じクラスだっけ) 。悪戯心と、ちょっとの八つ当たり。 「雛森ー」 なあに、と首を傾げた雛森の腕をひっぱり、ずいっと顔を近づけた。 耳元で「また今度」と低い声で囁いてみる。 雛森はひゃ、と甲高い変な声を出して、面白いくらい真っ赤になった。 「も、もうっ!」 怒り出す雛森にはいはい、とおざなりな返事をして、中学の校舎に戻ろうと背を向けた。 また今度ー、と言う雛森の声が聞こえたので、振り向かずに手だけ振り返した。周囲がいっそう煩くなったが、もう気にならない。 (あ、あいつちょっと悔しそう) |